
ビートルズの中で最も好きな曲は何か、と問われたら答えは明白だ。好きな小説は何か、と問われたら真っ先に答えられるのと同じくらい明白だ。
目を閉じれば 人生なんて楽なもの
目に映ったものは 自分なりに受け止めればいい
ひとかどの人物になるのは困難なことさ
それでもなんとかなるもの 僕には関係ない話だ
人は結局のところ一人で生まれ一人で死んでいく。けれど決して"独り"では生きていけない。
"一人"が平気な人はいても、"独り"が平気な人はいないはずだから。
本当の孤独とは集団の中に潜むもの。もし生まれた時から世界に一人だけなら、孤独という言葉さえ存在しないはずだと思う。
一人でいるよりも、むしろ大勢のなかで"独り"を感じる時の方が、人は本当の孤独を感じるのかもしれない。たとえば好きでもない複数の他人と一緒にいなければならない時。あるいはカップルや家族連れの街中でぽつんと一人でいる時。比べる対象があってこそ、"独り"というものが成り立つのだから。
どうやら 僕の樹には誰もいないようだ
それが高かろうと低かろうと
つまり 誰も僕を理解することはできないのさ
でも それでいいんだ
僕にとっちゃ それほど不幸って訳じゃない
この曲の"僕"は、自らが孤独であることを自覚しているように思える。そして、ついに自分の存在さえも現実から逸脱させてしまうのだ。
これが本当だと いつも思ってる
だけどこの僕さえ虚構かもしれない
きみのことを解ってるつもりでも
すべては僕の一人よがりなのかもしれない
つまり 僕ときみは同じじゃないってことさ
全てを虚構にしてしまえば楽になれる。そして「しょせん僕ときみは同じじゃないのだから」と突き放す。しかし、次のフレーズで決して他人を拒絶している訳ではないのが分かる。
僕と一緒に行かないか
あのストロベリー・フィールズに
すべてが夢 捕われるものさえ何もない
一人であることを自覚しているけれど、決して独りを望んでいる訳ではない。独りになりたいのなら、決して「僕と一緒に行かないか」などとは言わないはずだから。
10代後半から20歳過ぎまで、常にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をカバンに入れて、この「Strawberry Fields Forever」を毎日のように聴いていた。
そんなビートルズ最大のお気に入りの曲を、先日ノエル・ギャラガーが「僕らの音楽」という番組で演奏した。最初、内にこもったこの曲をノエルにこなせるのか?と疑問に思ったけれど、うつむきながら歌うノエルの姿がハマっていた。僕にとってoasisといえばリアムの声だけれど、あるいはリアムにこの曲は歌えなかったかも。
しかし極めつけは、偶然MX TVにチャンネルを合わせた時にやっていたフランスでのライブだ。すでに前半30分を見逃した後だったけれど、後半だけでも十分もっていかれる内容だった。ギターにadidasのロゴシールを貼り、MCの度に「休みはいつだっけ?」「つまらんな」とぶつぶつ文句を言いながら歌うノエル。そのたたずまいは、まるで孫に戦争の悲惨さを語る老兵のそれ。
「"Wonderwall"はやらんからな」と言いながらもしっかりとやり、「他国では評判が悪いけれど、君たち(フランス人)と日本人にだけ人気がある」と言ってやった曲は、アップテンポな"Whatever"。
良い曲はギター1本でも良いように、シンプルな編成によってノエルのメロディーメイカーとしての素晴らしさを改めて浮き彫りにする内容だった。
ところで、"Strawberry Fields Forever"が好きな人には一見孤独好きが多いように思えるけれど、本当にそうだろうか。
だって少なくとも僕がこの曲を聴く時、ストロベリー・フィールズがどこかにあり、そこには分かり合える人がいると信じているのだから。
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